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部屋にいる一匹の蜘蛛を殺せずにいる

夏に入ってから、自室のエアコン平均稼働時間が1日あたり20時間を超えている。本当に油断すると15時間前後の派手な睡眠をしてしまう。部屋から聞こえるのは蝉の声と車の音くらいで、外出は近所のコンビニくらいだ。毎回同じコンビニに行くと飽きてしまうので、少しずついろいろなコンビニをローテーションしている。今日はセブン、明日はローソン、といったように微妙にコンビニを変えている。部屋には私と、飼っているわけではないが蜘蛛が一匹いる。指の先端程度の大きさの小さな蜘蛛だ。最初は捕まえて外に逃がそうかと思ったが、壁を器用に登っているのを見るうちに、そのままでいいような気がしてきた。命の価値ランキングみたいなものがあるとしたら、何も生産していない状態の自分はこの蜘蛛よりも小さい気がしていて、こいつの命を救えば少しだけ命の価値ランキングみたいなのが上がる気がする。

甲子園がはじまって、ネットでは広陵高校の話題で持ち切りだ。よくあそこまでのいじめを力で隠蔽できたなと思うが、他の地方でも同様の性加害事件は起きているようでインターネットの海は噂話や誹謗中傷で持ち切りだ。挙句の果てに1回戦を勝ち進んだ後に出場辞退と、考えられる限り最悪の手を打ったような気がしている。難しい。

昨年の夏から体調が悪い日が続いている。自分の過去の投稿を見ても、ここ数年は体調の悪さについて触れるばかりで、どうしようもない。まだ祖父母のほうが元気そうでやっている気がしている。祖父母を見ていると、自分よりも先に寿命が来るのはこいつらなのか?と疑問に思うことが多い。圧倒的な生命力、パワー、勝てる気がしない。

幸いなことに寝たきりでもなんとかできる仕事がある。スマートフォンでポチポチとできる仕事だ。ギリギリのギリギリ、なんとか食いつないでいる。少しギリギリじゃなくてアウトな時もあるが、スマートフォンのおかげで最低時給くらいの仕事は寝たきりになりながらでもできている。ありがたい。本当はパソコンをつけて、手元に紙のメモ帳も広げて仕事を回したい。だが、今は全てを投げ出してぐったりとしている。私にできることは部屋にいる蜘蛛の運動を応援することくらいだ。

もうすぐお盆の親戚の集まりがある。本当に苦手なイベントだ。美味しいものを食べられるのは嬉しいが、それ以外は全く嬉しくない。命の価値ランキング上位みたいな生き物たちが、輝いているのを尻目になんとか目立たないようにやり過ごすしかないイベントだ。同じような遺伝子を持っているはずなのに、圧倒的に命の輝きが違う。きちんと生活している人間と、生きているか死んでいるかよくわからない人間では命の放つ輝きが違うのだ。

そんなイベントなら行かなくてもいいのではないかと思うかもしれないが、行かなければ行かないで祖父母は寂しがるらしいのだ。祖父母を悲しませるわけにはいかない。祖父母は明らかに命の価値ランキングが低そうな自分のような孫にも、命の価値ランキングが高そうな他の孫にも優しく接してくれるのだ。そもそも命の価値ランキングってなんだろうか。勝手に自分が名前をつけていて、落ち込んでいるだけかもしれない。それでもやっぱり最近の報道を見ていると、命の価値ランキングみたいなものは暗黙の了解としてある気がする。

社会保険料がどんどんと上がる中で、現役世代の不満・不平は募る一方だ。認知症患者でも保険料を使ってネイルができるようになったり、現役世代の手取りが減らされている中で引退した老人たちは少ない負担で医療を受けることができたりと、彼らの怒りや憎しみは増し、電子の海で拡散され、少しずつ命に値札をつけている行為が始まっている気がしている。

そういった投稿を見るたびに少し胸がざわざわする。私なんかがまだ生きていていいのだろうか。いっそのこと早い段階で死んでおいたほうが全体のための利益になるのではないか。いや、でもまだ死ぬ前に何かしておいたほうがいいかなとか色々考えてしまう。考えてしまうと、また頭がぐるぐるして、寝込んでしまう。特に今年の参議院選挙期間は色々な情報が飛び交っていて、テレビもネットもまともに見ることができなかった。

結局何を書いても、何を考えても生きていくしかないという結論になる。命の価値ランキングが低くたって、生まれてきたんだからやっていくしかない。今年の夏は暑い。生きているだけでとりあえず良いとしたい。人と人が命の価値に値札をつけるような話題で争っているのを見ると少し悲しい気持ちになる。この悲しい気持ちはどうしようもない。私も命の価値ランキングが高かったら低いものを笑っているかもしれない。

資本主義の仕組みや、今後AIの発展を考えると格差社会はどんどん広がっていくと思う。どんどん広がった先に見えるのは命の価値ランキングの可視化で、弱い者たちは隅っこに追いやられるんじゃないかと考えてしまう。今から備えることができることと言えば、自分で自分を許して肯定することに慣れていくことくらいだろうか。結局私も命の価値ランキングが高い人から見れば部屋にいる一匹の蜘蛛のようにただただ生かされている存在にすぎない。生かされていることに感謝して、自分で自分を褒めていきましょう。やっていきましょう。

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一生懸命生きています。

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