最近の自分のツイート(post)を見ると死にそうになっている。日記をつけているのもサボっているけれど、6月15日の投稿はなんとなく覚えている。本当にコーヒーやエナドリを身体に入れてもだるさが抜けないのだ、怖かった。眠いし、起き上がれないし、身体が動かない。とりあえずパソコンの前に座っても文字が全く頭に入ってこない。
なんとか誤魔化してやってきたけれど、身体と脳が動かない状態になってしまったので1日会社を休んで寝たきり人間になっていた。業務に支障はでなかったけれど、ここで休んでなかったら過去の経験からして1カ月くらい寝たきりになっていた気がする。早めに休息取ることは本当に大事なので皆さんもやっていきましょう。
最悪のコンディションをどうにか修正するために、温泉付きのホテルに1人で行ってきた。周りは家族連れやカップルで楽しそうな中、死にそうな顔をしている成人男性が救いを求めてホテルのフロントで説明を聞いていた。
スマートフォンはないほうがいいかなと思い、iPhoneは家に置き、iPad miniだけは念のため何かの道具として持って行った。スマホがないとやることがないことが予想されたので大量の本も持っていった。
ホテルの部屋に入った瞬間に帰りたい気持ちがわいてきた。いつもの部屋でインターネットをしたり、まだ残っている仕事を片付けていきたい気持ちが大きかった。チェックインは15時半頃にしたけれど、夕飯の19時まではだいぶ時間がある。入室して最高の景色、洗練された空間があるのに限界だった。とりあえず持ってきた本を読む。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書) 』を読み進める。自分の集中力がほとんどないことに気づく。
そうだ、温泉がついているんだった、源泉かけ流しだったんだ、色々思い出してきた。温泉に入っている間も早くスマホに触りたくて落ち着きがなかった。いつもならゆっくりと目の前の温泉を楽しむことができるのに、落ち着きがなくてすぐに身体を洗って出てしまった。ホテルの部屋に戻ってもまだ食事の時間まで2時間以上あることに絶望した。
やることがない。スマホがないとここまでやることがないのかと驚いた。いつもスマホを見ているときや、忙しいときは「暇な時間ができたら、山奥にこもって読書をいっぱいしたいな・・・」とか考えていたのに、いざ山奥に入って読書を楽しもうとすると一切楽しめない自分がいた。客観的に見ると読書をするエネルギーがそもそも足りていないから寝るべきなのだが、その時はそこまでの余裕がなかった。
クイーンサイズのベッドに1人で寝っ転がりながら本を読む。椅子に座ったり、寝っ転がったりとやることはない。ついに禁断のipad miniに手を出してしまった。観たいと思っていた番組は中に保存してあることを思い出した。デジタルデトックスのことは忘れてすぐにホテルのWi-Fiパスワードを入力した。
あんなに好きな本は消化できなかったのに、溜まっていた番組は消化できるのが不思議で仕方なかった。動画はどんどん絵が流れていくけれど、本は書いてある物事をきちんと整理しながら進めないといけないから大変なんだろうな、とか勝手に納得した。そう考えると仕事も同じような側面がある。
気づいたらバイキングの時間になった、ステーキが焼かれていたり、新鮮な海鮮があったり、地元のビールも飲み放題らしい。テーブルを見るとみんなが楽しそうにビールを飲んでいる。「部屋に帰ってもやることがないんだよな・・・」と思いながら、予定になかったビールジョッキを手に取る。とりあえず、乱雑に食べたいものを皿の上に乗せてからひたすら食べて飲む。1人だと会話する相手がいないことにも気づいた。スマホもないので、黙々と酒を飲んで、美味いものを食べ続けるロボットになった。自分は回復がしたいのに、酒を飲んで、おなか一杯食べて何をしているんだと悲しい気持ちになった。料理がどれも美味しいのでギリギリまで食べて部屋に戻った。
この世界に絶望しながら部屋に戻った、ipad miniを開いた瞬間にミッドナイト競輪のサイトを開き、ミッドナイト競輪を久しぶりに買いはじめた。もう酒に酔っていて本は読めないし、動画もまともに見ることはできないけど、競輪の予想をすることだけはできた。いや、もう実はサイコロを振って適当に決めるのでもよかったのかもしれない。
結局、目当てだった温泉にまともに入ることもなく、ipad miniが最高の端末であることを再認識して短い旅は終わった。
自宅に戻ると不思議なことが起こった。不思議と活力が戻っていて、文字も読めるし、身体も自由に動くようになった。客観的に見ると荒れ狂った成人男性が、ただただ温泉に少し入り、ipad miniで動画を見て、酒と料理を雑に食べて、外で寝ていただけなんだけど、明らかに体調が良くなっている。身体が軽い。(※去年と比較すると8kg増量しています)
これで最近足りていなかったものに気づいた、多分無駄な時間が必要なんだ。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書) 』の中でも読書は労働のノイズであるみたいな主張がされていた。確かに、ノイズかもしれない。我々は純粋に知りたいことがあったら、知りたいことを検索する。検索するとたいていの知りたいことの答えが書かれている。これが心地よくなっているのだ。
読書を通した知識を得る体験は知識だけでなく、その周辺のノイズがどうしても入ってきてしまう。でもどうだろう、徹底的にノイズを除去した生活を送っているとどんどんおかしくなる。
老後に2,000万円必要らしいから、老後のために2,000万円貯めよう。そのためには毎月5万円くらい積み立てて…そうだ、他に現金も必要だから生活も切り詰めて…仕事も頑張って…資格試験の勉強もして…となっていくと、おそらくノイズはないが、死ぬ直前になって後悔しないだろうか。
わかるよ、わかる。複利の効果でわかいうちから積み立て投資をしておくことで資産形成ができるのもわかる。反論が来るのもわかっている上で、もっと自分のやりたいことはないのかとか、自分の好きなことは何なのかを考えるべきで行動するべきなのだ。
そう思うと若いうちから身の丈に合わないようなローンを組んで、バイクを買ったり車を買ったりするのもいいんじゃないかと思っている。絶対に今が一番若い時間なんだから、その時間を蔑ろにして将来のために頑張ろう…みたいなことを繰り返していたら、多分ダメになる。ただ、将来を蔑ろにするのもどっかで不安に思ってしまってダメになるから難しいんだろうけど…。
そう考えるとコンディションを落としていた原因が色々わかってきた。おそらく最近は守りに入りすぎていた、もっとノイズが必要だ。歩いたことない道歩くとか、入ったことない店に入るとか、日常の中にもっとなんとなく変化をつけていかなければいけない。やったことないことしてみよう、沢山してみよう。
結果的に1日思い切って無駄にホテルに泊まってきて良かった。外にいることで改めて家の良さを再確認することができた。今からクイーンサイズのベッドではなく、眠り慣れたベッドで今から寝る。回復したからまたやる。無駄なことを沢山やる。
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