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自殺をしないで生きるということ/自殺をしそうになった時の対処療法

前回のブログで今年の目標は死なないことだと書いたが、これがかなり難しい。自殺をしないという選択肢を取らないといけないくらいに精神が追い込まれている。投薬治療などをしていなければ、おそらく決行に移していた気がする。細い細いロープの綱渡り状態が毎日続いている感覚で起きてから寝るまでの間、自殺の願望がテトリスのブロックのように降ってくる。

特に何に不満があるわけでもない、仕事にも恵まれていて友人にも恵まれていると思う。それでもただただ死にたい。生きているのが面倒だから死んだほうが楽になると思っている。昔ミニバスをやっていた親しい後輩も、一緒にゲームを楽しくやっていた友人も自殺をしてしまった。特に後者の友人に関しては大学生の間に自殺をしてしまった、国立理系大学だった。ただ、留年が決まって、孤独で、将来に活路が見出すことができずに、深夜に自分で首を吊ってしまった。

彼が最後に食べたのは寿司だった。私も20歳くらいから死にたくなったらこれが最後の飯になるかもしれないからと思い、寿司を食べる。特に北陸の寿司は静岡の寿司よりも美味しく、何度食べても良いものだった。一時的に死にたいみたいな気持ちは緩和されていった。

Xのタイムラインを見ていると、みんなそれぞれ生活をしている。生活をしていて偉いなと思う。会社に行くことだったり、子供を育てることだったり、全てが生活なんだけど、私はこの生活がうまくできない。おそらく脳がどこかでバグってしまっていて、脳がひたすら楽なほうに、楽なほうに流れてしまうんだと思う。

うつ病に関する書籍やエッセイ、漫画なんかはおそらく数十冊以上読んだ。読んだが、ほとんどの確率で必ず理解のある彼氏や彼女が出てきて全てを支えてくれる。彼らも同じように苦しんでいるが、彼らの苦しんだ過程が書籍になり、世の中に出ている時点である程度良くなっているんだなと思い嫉妬してしまう。結局うつを抜け出すのは自分でここをなんとか抜け出すしかない、やるしかない。

厄介なことに、一度自殺をすることが日常生活の選択肢に入ってくると、なかなか大変になる。脳はなんとか動くが、スイッチを入れるのにギアを少し上げなければいけない。昔はそんなことがなかった。もっと頭がクリアだった。今は頭がもやのかかった状態になり、実際にアクセルを踏んでも(PCの電源を入れて、仕事の資料を整理しても)、なかなか動かない、そのうちに自殺が現実的な選択肢として自分の目の前に立ってしまう。

毎朝起きると、恐ろしい罪悪感がある。今日も生きる行為が始まるといった焦燥感に襲われる。なんとか生きなければいけないと思いつつも、酷いと5時間くらい寝たきりになってしまう。もうこういうものだと思って割り切っているが、これがなかなか難しい。厄介だ。

それでも、なんとか少しだけ希望はある。自分と同じように死にそうだった人たちはみんな30歳を過ぎたら生きやすくなったとか、35歳を過ぎたら生きやすくなったと答えている人が多い、ここに僅かな希望がある。私はまだ31歳だ。もしかしたら、もう少ししたらこの状態から生きやすくなるのかもしれない。

今年もなんとか生きるしかない、やること/やりたいことは山のように溜まっている。読みたい本もある、まだ少しだけ未練がある。なるべく死なないように未来に少しだけ予定も入れるようにしている。何も食べたくないときはご飯をお茶漬けにしてかきこんでいる、少しだけエネルギーが出る。こうやって少しずつ自分の中のライフハックを作っていって生きやすくするしかないんだ。やっていきましょう。新年2発目の更新でした。

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一生懸命生きています。

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