これは有名なエピソードだが、村上春樹の仕事術がすごい。
彼は1日に400枚詰めの原稿用紙10枚をきっちり書いているのだ。これをひたすら続ける。(気になった人はググってください)
筆が乗っていて続きが書けそうでも原稿用紙10枚きっちりで終わるし、どんなに筆が乗らなくても10枚までは頑張って書く。
このエピソードを長年凄いと思っていたが、ようやく最近になって10枚までしか書かない理由が自分なりにわかってきた気がする。10枚以上書いた例外の日を作ってしまうと、10枚以下でも良い例外の日も認めてしまうことになってしまうんじゃないかと。
自分にある程度裁量のある制作関連の仕事経験がある人はぎくっとするかもしれない、例外の日はあってはいけない。
私は今、体調不良が頂点に達した結果、何もできなくなって2週間会社を休んでしまっている。
おそらく私に必要なのは例外を認めないことだ。躁鬱を持っていると難しいかもしれないが、毎日一定のリズムで仕事をこなしていく。1週間にこなさなければいけない仕事が仮に10あるとして、1-1-1-1-6みたいな仕事の仕方をしてはいけない。(おそらく今まではこうしてきていた)
長く職場でサバイブできる人間、真に生産的な人間はおそらく2-2-2-2-2と淡々と生産する。これが大事だ。
これを目指さなければいけないし、ここに到達しなければいけない。
仕事じゃなくてプライベートでもそうだ。仮にプロゲーマーになりたいとか、一定の上位ランクに到達したいんだとしたら、例外を設けずに練習をやり続けなければいけない。別にそれが多くなくてもいい。ただ、ムラがある30日と、ムラがない30日は後者のほうがおそらく圧倒的に優秀だ。
今までは病気のこともあり、生産性にムラがあるのは短所だが長所でもあると思っていた。ただ、これはなんとなく違う気がする。人生は長いし、仕事も長くするものだ。1日だけ全力疾走するよりも毎日淡々と積み上げていくやつが勝つ。私は何度も追い抜かれてきたからわかる。
確かに全力疾走で何かをするのは楽しい。猛烈に集中して24時間記事を書き続けたこともあった。そのあとは何も書かなかった。自分の20代の働き方を見ると1カ月だけ死ぬほど頑張って、その次の2か月は燃え尽きて何もできない(ひどいときには入院する)ようなこともあった。それは長く続かないわけだ。
自分のかかりつけ医が「休憩」を大事にしろ、と何度も自分に言い聞かせていたのを思い出した。村上春樹の習慣と、信頼しているかかりつけ医の言葉がつながった。
今はどうしたら淡々と仕事がこなせるか考えている。もちろん毎日猛烈に全力疾走できるなら、したほうがいい。
でもまずは毎日少しずつでもいいから歩き続ける、進捗を生み続けることが大事だ。目標とする進捗を決めて、ここまでやれたらまずは自分を褒める、ここまでやれて偉かったと認めることも大事な気がする。
圧倒的に文章を生産する技術、それは時間を味方につけてひたすら淡々と作り続けることだ。AIを使うとかそんなことを言ってるんじゃない。私は君の、これを読んでいる人の血肉が入った文章が読みたいんだ。
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