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人間はいつか死ぬ

みんな知ってることだけど、人間はいつか死ぬ。いつ死ぬのかは自分ではわからないし、先が見えないからこそ苦しいのかもしれない。死にたくなったら相談してくださいみたいな窓口も最近出てきているけれど、対応が追い付いていないのが現状だ。心療内科や精神科だって、電話してみるとわかるけれど予約でいっぱいで、診てもらうのにも滅茶苦茶時間がかかる。なんでこんなに生きづらい世の中になってしまったんだろう。人間はいつか死ぬっていうのはもうわかりきっていることだけど、いつか、じゃなくて、今、死にたい人はどうすればいいんだ。やっぱり自分から死ぬしかないのか。どうしてもきつかったら安楽死みたいな方法もあっていいと思う。どうせ人間はいつか死ぬんだ。その死ぬタイミングくらい自分で考えさせてほしい。死んではいけないとか死んでほしくない気持ちは、友人を見てめっちゃ思ったけど、それでも漠然と自分を損切りしたいと思いながら生きるくらいだったら今すぐ死ねたらいいのになあと思う。

みんな知ってることだけど、人間はいつか死ぬ。当たり前かもしれないけど日常生活の中で「多数派」、所謂「普通」の人はあまり「死ぬこと」を考えていないらしい。僕も数年前まではそうだったはずだから、なんとなく感覚を覚えている。そんなことよりも今日の夕飯とか、新しく出る漫画の続編を楽しみにしていた。どっか脳の回路がやられてしまうと、常に「死ぬこと」を考えるようになってしまう。これが案外苦しい、飯を食ってるときだって、寝る前だって、起きたときだって、常に「それ」が脳から離れない、身体的にきついわけじゃないのに身体的にも重くなってしまいきつくなる。お医者さん曰く、時間はかかるけれど、この状態から抜け出せるらしいが、やっぱりきつい、どう考えても割に合わない。しんどい。まあ何千年も昔にお釈迦様が「生きることは苦」みたいなことを言ってたらしいから、もしかしたら「それ」が当たり前なのかもしれない。

みんな知ってることだけど、人間はいつか死ぬ。いつか死ぬから生きてる間は好きなことをやっておくのがいいのかもしれない。日本では安楽死の施設はないが、海外にはある。外国人を受け入れているのはスイスだけで、大体150万円から200万円が相場らしい。でも、お金を払えばできるかっていうと、そうではないらしい。費用とは別に語学力がいるのだ。安楽死をやっている団体側は死期を早めたい理由を慎重に診断するらしい。耐え難い痛みが永続的なものかなどらしい。一時の精神状態では安楽死が認められないらしい。死期を早めたい理由についても英語かドイツ語で説明しなければいけないらしい。意外とハードルが高い。

みんな知ってることだけど、人間はいつか死ぬ。安楽死はハードルが高いなあと思っていたら、あるメールの中にこんな一文があった。

人間誰だっていつかは死ぬんだから、自然に任せてみたら?

どうせ死ねるなら、まだ死ななくてもいいか、って思えたから言葉の力って強烈なパワーがあると思う。

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この記事を書いた人

一生懸命生きています。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • やっぱりむかどんの文は人に読ませるよね。普段ブログでも本でも最後まで読まずにさらっと流しちゃうからさ

    • ありがとうございます。こうやってコメントいただけだけでも生きててよかったと思えます。
      読みやすい文章目指していきます・・・!

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